人類の進化(13)ネアンデルタール人はホモ・サピエンスと混血していた
小さな家族単位の集団だったネアンデルタール人は仲間の助けを受けることができずに孤立し、わずかに残った森で数少ない獲物に頼るしかありませんでした。しかし、その肉弾戦の狩りは常に死と隣り合わせ、狩りで命を落とす者も多く、ほとんどが30代までに亡くなったと推測されます。ネアンデルタール人は体が大きく、大量のエネルギーを必要としていました。長い時間をかけて氷期に適応した体になっていたのです。しかし、その大きな体を維持するための十分な獲物を得られなくなりました。
ヨーロッパの南端、イギリス領ジブラルタルのゴーラム洞窟は、追い詰められたネアンデルタール人が最後に暮らした終焉の地だったと考えられています。ホモ・サピエンスが大きな社会を築き始めていたころ、ネアンデルタール人はここで最後の時を迎えようとしていました。
ゴーラム洞窟からはアフリカが見えます。ネアンデルタール人が最後の日々に何を感じ、世界をどう見ていたかを知ることはできません。絶滅の縁に追い込まれたネアンデルタール人が残した不思議なものが見つかりました。ハッシュタグと呼ばれる謎の線です。繰り返し石を削って刻まれたものです。なぜこのような線が描かれていたのかはわかりません。星座や地図を描こうとしたのでしょうか。もしかしたら一族が生きた証を残そうとしたのかもしれません。
私たちに最も近い人類ネアンデルタール人は、自らが存在した痕跡を石に刻んで、ひっそりと姿を消しました。そして、この地球には私たちホモ・サピエンスだけが生き残ることになったのです。
ドイツにあるマックス・プランク進化人類研究所は、太古の人類のDNAを解析する世界最高峰の技術を持っています。ここで14年の歳月をかけて、ネアンデルタール人の骨からDNAを復元することに成功しました。
この研究を率いた遺伝学者スヴァンテ・ペーボさんは、復元したネアンデルタール人の1000ゲノムを世界各地の現代の人びとと比べました。すると、アジアやヨーロッパなどほぼ世界中の人びとに、およそ2パーセント、ネアンデルタール人のDNAが受け継がれているとわかったのです。一方で、アフリカのサハラ砂漠より南で生きてきた人びとにはネアンデルタール人のDNAはほとんどありませんでした。
これはいったい何を意味するのでしょうか。ペーボさんの仮説はこうです。サピエンスはとても小さな集団でアフリカを旅立ち、その直後にネアンデルタール人と出会い、交配しました。そして、両方の遺伝子を持った子どもが生まれ、世界中に広がっていきました。一方、アフリカに残った人たちはネアンデルタール人と出会うことがなかったので、混血もなかったのです。
アフリカを出たホモ・サピエンスはおよそ5万5000年前にネアンデルタール人と交わり、そのネアンデルタール人との間に生まれた子どもたちが、現代を生きている私たちにつながっているのです。私たち日本人も、ほとんどの人が2パーセント程度ネアンデルタール人のDNAを持っているのです。
私たち人類は、異なる人びとと交わり、さまざまな遺伝子を受け取って生きてきたのです。そしてその事実は、私たちとネアンデルタール人が、とても近しい存在だったことを意味しているのです。
参考ウェブサイト、テレビ番組
誰かに話したくなる日本人のルーツ「人類の進化」
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NHKスペシャル 人類誕生 第2集「最強ライバルとの出会い~そして別れ」
人類の進化(12)集団の力がサピエンスを救う
モスクワの東200キロメートルに3万5000年前のスンギール遺跡があります。
このころ、サピエンスの集団は400人にのぼる非常に大きな集団になっていました。血縁を超えて人びとが結びついた400人もの大集団、これはもはや社会とも呼ぶべきものでした。なぜこれほど集団が大きくなったのか、遺跡から発掘された装飾品がその謎に答えます。
マンモスの牙で作られた世界最古の指輪、50匹のホッキョクギツネの歯でできた頭飾りなど、驚くほど精巧な装飾品が発掘されました。これらはすべて死者のための埋葬品でした。
この装飾品には特別な意味が込められています。彼らは死後の世界を想像する力を持ち始めたのです。このころには死後の世界に思いをはせ、原始的な宗教のようなものが生まれていたと推測されるのです。
原始の宗教の痕跡は、このころのサピエンスの遺跡から相次いで見つかっています。フランスのショーヴェ洞窟の壁画の中には現実にはない不思議な生き物が描かれています。上半身は動物で足は人間という謎の姿をしています。一説には儀式を執り行うシャーマンの姿ともいわれています。
この宗教こそ人びとを結びつけ、巨大な社会を生み出す原動力になったと考えられるのです。宗教は人びとのあいだに強い絆を生み出しました。人類は宗教を使って、非常に大きな社会を作っていったのです。闇に包まれた洞窟の奥を想像してください。神秘的な世界が生まれたはずです。人びとはともに歌い踊り儀式を行うことで、つながりを深めたに違いありません。
同じものを信じることで生まれた強い連帯感、強固な集団の力が、その後のサピエンスを救うことになります。
ヨーロッパを襲った地球規模の異変、ハインリッヒイベントと呼ばれる巨大な気候変動が起きたのです。当時北アメリカを覆っていた巨大な氷の塊が海へと崩落しました。その影響で海流が変わり、ヨーロッパの気候が急激に乱高下を始めました。極端な寒さと暑さが、時には10年単位で入れ替わり、森は消え、生き物は激減しました。
サピエンスはこの大きな危機をどう乗り越えたのでしょうか。そのカギになったのが、集団同士の交流でした。宗教は何千キロメートルも離れた人びとを結びつけました。そして数千人の社会が誕生します。たとえば、食料がまったく足りなくなったときも、宗教で結ばれた遠く離れた仲間同士が互いに助け合って、この危機を乗り切ったのです。
こうして気候変動を生き延びたサピエンスがヨーロッパでの勢力を急激に拡大する中、ネアンデルタール人の生息域は徐々に狭まっていきました。
参考ウェブサイト、テレビ番組
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NHKスペシャル 人類誕生 第2集「最強ライバルとの出会い~そして別れ」
人類の進化(11)ホモ・サピエンスは道具を大革新!
小動物を追い回していた時代から数千年が経ったヨーロッパでは、サピエンスの狩りは様変わりしていました。仲間同士で動物の群れを追い込んで、道具(笛)を使って合図して、大型動物の狩猟をしていたのです。このとき起きていたのが道具の革命です。なかでも究極がアトラトルと呼ばれる道具で、サピエンスの暮らしを根底から変えました。この時代の遺跡からその証拠が見つかっています。
アトラトルの切り込みにヤリをひっかけて投げると、てこの原理で遠くまで飛ばせるのです。腕だけで投げるのよりも、2倍以上の飛距離がでます。すさまじい破壊力が得られる画期的な道具でした。
画期的な道具はアトラトルだけではありません。サピエンスは道具を革新することに長けていました。石器を年代順に並べると、どんどん繊細になっていったことがわかります。さらに鋭利なナイフや、骨に石器を埋め込んだやり先など複雑な道具も生み出しました。
一方、ネアンデルタール人の石器はほとんど変化ありません。繊細なナイフのようなものは生み出せませんでした。
この違いはなぜ生まれたのでしょうか。両者の遺跡を比べることで、理由がわかってきました。
このころサピエンスが暮らしていたフランス西部のカスタネ遺跡には500平方メートルの広大な空間が広がっていました。石器や人骨の数から、多いときは150人ほどが一緒に暮らしていたと考えられています。
では、ネアンデルタール人はどうだったのでしょうか。スペイン北部にあるエル・シドロン洞窟は、長い間ネアンデルタール人が暮らしていた遺跡です。出土した骨から、サピエンスよりも小さな集団だったことがわかりました。ここに住んでいたのは13人のネアンデルタール人です。彼らの集団は多くても20人ほどだったと考えられています。さらにDNA解析で、全員が血縁関係にあることが判明しました。つまり、ネアンデルタール人は家族単位の小さな集団で暮らしていたのです。
この集団の大きさの違いこそが、道具を革新する能力の差につながったと考える研究者がいます。画期的な道具が生まれても、ネアンデルタール人の家族単位の暮らしでは広まりません。一方、サピエンスのように大きな集団では、多くの人に広まり改良も進んでいくといいます。サピエンスがアトラトルという画期的な道具を手にした背景には、集団での情報共有があったと考えられるのです。
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人類の進化(10)ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の出会い
中東エルサレムは、地球上のおよそ半数の人が信仰する3つの宗教の聖地であり、世界中の人びとが集います。
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスもまたこの中東地域で出会ったことがわかってきました。きっかけとなったのはイスラエル北部にあるマノット洞窟での発見です。5万5000年前に、私たちの祖先ホモ・サピエンスが暮らしていた痕跡がここで見つかりました。この遺跡からわずか40キロメートルの距離にネアンデルタール人が住んでいたアムッド洞窟も見つかっています。ここでは、18体分の人骨が出土しました。
これまで、この時代にはサピエンスとネアンデルタール人は遠く離れた場所で暮らしていたと考えられていました。ところが、日常的に顔を合わせてもおかしくない、とても近くで暮らしていたことが確かめられたのです。
ホモ・サピエンスはおよそ30万年前にアフリカで誕生し、およそ6万年前にアフリカを出ますが、その直後に早くもネアンデルタール人に出会っていたのです。
祖先たちが出会ったネアンデルタール人とはどんな人類だったのでしょうか。その意外な実像を教えてくれる遺跡が発見されました。フランスのブリュニケル洞窟です。見つかったのは奇妙な石のモニュメント、世界最古のストーンサークルだとされます。
その目的はわかっていませんが、複数のネアンデルタール人が集まって一緒に石を並べていたと考えられています。この遺跡は400個もの鍾乳石のかけらでできています。ネアンデルタール人が鍾乳石を砕き、並べたのでしょう。
こうして見直されたのが、ネアンデルタール人の知能です。頭蓋骨を調べると、驚くべきことがわかりました。ネアンデルタール人の頭蓋骨はホモ・サピエンスより明らかに大きいのです。つまり、とても大きな脳を持っていたのです。頭蓋骨から復元した脳の大きさは、ホモ・サピエンスより10パーセント以上も大きかったのです。さらに、言葉を話すのに欠かせない舌骨や耳小骨などを詳細に調べた結果、しゃべる能力があった可能性が高いことも判明しました。
文化的な行動を行っていた証拠も次々に見つかっています。たとえば、スペインの遺跡からホタテ貝で作られたペンダントが発掘されました。腕に巻いたと考えられるブレスレットはクロアチアの遺跡で発見され、鷲の爪で作られていました。そして、彼らは動物の皮を加工し身にまとっていたこともわかっています。その根拠となるのが、フランスのレ・コッテ遺跡で見つかったリソワールと呼ばれる道具(骨器)です。バイソンの骨などでできたこの道具は、動物の皮を加工するために使われていたと考えられています。
かつて、ネアンデルタール人は、体は頑丈でも言葉を持たず知能も低いと考えられていましたが、本当は屈強な体に高い知能を併せ持つ人類だったのです。
ネアンデルタール人が繁栄したのは氷期のヨーロッパで、冬の気温はマイナス30度にもなり、当然食料は乏しい時代でした。この厳しい環境を生き抜くために、ネアンデルタール人は独特の狩猟法を編み出していたといいます。ネアンデルタール人の化石を分析すると、骨の多くに怪我や骨折の痕(あと)が見られ、肋骨(ろっこつ)には、何かが突き刺さった傷痕が残っています。この傷は、ネアンデルタール人が獲物に接近して狩りを行っていた証拠だといいます。骨に残された傷は、ネアンデルタール人の狩りが肉弾戦だった証拠です。彼らはとても力が強かったのです。
一方、ネアンデルタール人に比べ全身の骨が細く力が弱かった私たちの祖先ホモ・サピエンスは、まったく違う方法で獲物を捕っていたと考えられています。大型動物に挑む強い力がなかったため、ウサギなどの小型動物を捕まえなんとか命を繋いでいたのです。
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NHKスペシャル 人類誕生 第2集「最強ライバルとの出会い~そして別れ」
人類の進化(9)ホモ・サピエンス誕生
化石の証拠から、ホモ・サピエンスは、およそ30万年前にアフリカで誕生し、およそ6万年前にアフリカを出て世界に広がり始めたと考えられています。しかしホモ・サピエンスは、誕生後にとんでもない絶滅の危機に見舞われていたのです。
その危機とは、19万年前から始まった氷期による地球規模の気候変動です。温暖なアジアにはあまり影響がなく、そこに暮らしていたジャワ原人などにダメージはありませんでした。一方、ヨーロッパに進出していたネアンデルタール人はいち早く寒冷地に適応していたため生き延びることができました。
しかし、アフリカにいたホモ・サピエンスは窮地に立ちました。氷期には赤道付近では乾燥化が進みます。アフリカの草原はどんどん砂漠へと変わっていったのです。ホモ・サピエンスはすみかを追いやられ、絶滅寸前の危機に陥ります。
そして、行き着いた場所のひとつが南アフリカ共和国の南端にある岬、ピナクル・ポイントです。この洞窟の奥深くで、絶滅寸前のサピエンスが逃げ込んだ遺跡が見つかりました。古代の炉のあとがあり、石器もたくさん出てきました。
絶滅の危機に瀕したサピエンスは、どう生き延びたのでしょうか。研究者たちを驚かせた発見が貝殻です。16万年前の地層から出てきたのは、ここでもっとも多くとれるムール貝です。それまで森や草原に暮らしていた人類が決して口にすることのなかった食料でした。
実は、アフリカでは貝が生息する場所が極めて限られています。祖先たちは幸運にも豊富に貝がとれる珍しい場所にたどり着きました。そして、たまたま巡り合った未知の食べ物を口にすることができた好奇心の強い者だけが生き残ったと考えられるのです。
このとき、サピエンスの人口はわずか1万人以下にまで激減したといわれます。その証拠は、私たちの遺伝子に刻まれています。地球上に80億人ものヒトがいるのに、遺伝子の違いがとても少ないのです。いったん激減した人口がその後急速に増えたため、見た目は違っても同じような遺伝子を持つヒトが多くなったというのです。
見慣れぬ食べ物を口にする好奇心、それが祖先たちの生き残りにつながりました。私たちは皆その「好奇心あふれるヒト」の子孫なのです。
参考ウェブサイト、テレビ番組
誰かに話したくなる日本人のルーツ「人類の進化」
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NHKスペシャル 人類誕生 第1集「こうしてヒトが生まれた」
人類の進化(8)謎多きデニソワ人
アルタイのネアンデルタール人と呼ばれている女性が出土したデニソワ洞窟は、ロシア、中国そしてモンゴルの国境に近いシベリア西部のアルタイ地方にある洞窟です。2010年に、この洞窟から出土した指の骨と臼歯(きゅうし)のDNAが解析され、その結果からネアンデルタール人ともホモ・サピエンスとも異なる未知の人類のものだということが判明しました。この未知の人類は、形態的な特徴が不明なまま、DNAの証拠だけで新種とされた最初の人類で、デニソワ人と呼ばれるようになりました
デニソワ洞窟からはネアンデルタール人だけでなく、ホモ・サピエンスが作った遺物も見つかっていて、少なくとも異なる3種の人類によって利用されていたことがわかっています。
洞窟堆積物や人骨の年代測定によって、この洞窟にデニソワ人が居住していたのがおよそ20万年前~5万年前、ネアンデルタール人が居住していたのがおよそ19万3000年前~9万7000年前と推定されています。
デニソワ人は、核ゲノム解析で、約80万4000年前にデニソワ人とネアンデルタール人の祖先がまずホモ・サピエンスの系統と分岐し、約64万年前にネアンデルタール人とデニソワ人が分岐したと報告されています。
デニソワ洞窟で発見された9万年前のものとされる1センチメートルほどの長幹骨の破片から抽出されたDNAが分析され、この人物がネアンデルタール人の母親とデニソワ人の父親から生まれた混血であることが判明したと、2016年に報告されました。骨の厚さからは13歳前後と推定されていて、ゲノム解析の結果、女性であることもわかりました。
デニソワ洞窟からはネアンデルタール人とデニソワ人のゲノムが見つかっていますから、両者が交配したとしても不思議ではありませんが、その直接的な証拠が見つかるのは奇跡的なできごとといえます。
デニソワ人の痕跡は、指の骨、臼歯、長幹骨の破片など、ごく限られた小さな骨や歯しか残っていません。臼歯はネアンデルタール人やホモ・サピエンスと比べると大きくて別の種であるということを予想させるのですが、姿形や分布の範囲についてはほとんどわかっていません。まさに謎の人類なのですが、その実態に迫る発見や研究も進んでいます。2019年には、1980年にチベット高原に位置する中国甘粛省夏河(かんしゅくしょうかか)の白石崖溶洞(はくせきがいようどう)で見つかっていた16万年前の下顎骨がデニソワ人のものであると同定されました。これはDNAを調べたのではなく、コラーゲンタンパク質のアミノ酸配列から結論されたのです。この下顎骨はデニソワ洞窟以外で発見された初めてのデニソワ人の報告になります。なお、2020年には、この洞窟の6万年前と10万年前の堆積物からデニソワ人のミトコンドリアDNAが検出されていますので、デニソワ人はかなり長期にわたってこの地域に暮らしていたと考えられます。
参考ウェブサイト、書籍
誰かに話したくなる日本人のルーツ「人類の進化」
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篠田謙一著「人類の起源」 中公新書
人類の進化(7)ゲノムが明らかにした人類の「親戚関係」
これまで、アフリカではエレクトスからホモ・ハイデルベルゲンシスという新しい人類が誕生し、その中でヨーロッパに渡ったグループからネアンデルタール人が生まれ、アフリカに残ったグループの中からホモ・サピエンスが誕生したと考えられてきました。
このホモ・ハイデルベルゲンシス、ネアンデルタール人、ホモ・サピエンスの3者の関係は、2016年にスペイン北部にあるシマ・デ・ロス・ウエソス洞窟(スペイン語で「骨の穴」という意味の名)から発見された化石のDNA分析が成功したことによって大きく変わることになりました。
これまでの祖先を探す方法は、おもに化石の発見とその解釈でした。しかし21世紀になり、生物の持つDNA配列を自由に読み取れるようになったことで状況は大きく変わります。次世代シーケンサーが実用化したことによって、2010年以降は古代の人骨に残る核DNAの分析が可能になり、DNAデータをもとにした人類の系統研究から新たな事実が次々に明らかになっています。
今のところ、もっとも古い人類化石のDNA情報は、スペインの43万年前のシマ・デ・ロス・ウエソス洞窟出土の人骨です。1976年以降の発掘で28体分の人骨が発見されているのですが、特に近年ではDNA分析を意識した調査が注意深く行われています。
ネアンデルタール人の化石は、19世紀の初めにベルギーとイベリア半島最南端のジブラルタルで発見されていましたが、ホモ・サピエンスとは別の人種であると最初に認識されたのは、1856年にドイツのデュッセルドルフ郊外のネアンデル渓谷で発見された個体です。その後の発見によって、現在ではヨーロッパから西アジア、シベリア西部にわたるユーラシア大陸の西半分に分布していたことがわかっています。
姿形から典型的なネアンデルタール人と考えられる化石は、ヨーロッパや西アジアの遺跡から数多く発見されていて、それらはおよそ14万年前~13万年前のものと考えられています。成人の推定身長は150~170センチメートル、がっちりとした体格で体重は64~82キログラムと見積もられています。脳容積は1200~1750ミリリットルで、頭骨は前後に長く、眉の部分がひさしのように飛び出し、顔面全体が前方に突き出しているなど、私たちとは異なる独特の風貌をしています。
これまで、現代人とほぼ同じ高精度のレベルでゲノムが解析されたネアンデルタール人が3体あります。デニソワ洞窟から発見されたデニソワ5号もしくはアルタイのネアンデルタール人と呼ばれている女性、ヴィンデジャ洞窟のネアンデルタール人(ヴィンデジャ33号)、アルタイ山脈のチャギルスカヤ洞窟から発見された女性(チャギルスカヤ8号)です。
参考ウェブサイト、書籍
誰かに話したくなる日本人のルーツ「人類の進化」
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